電話が相変わらず嫌いです。
どうしたら電話を好きになれるのかとか、どうしたら電話に出なくて済むのかとか、色んな方法を考えてみましたが、どうしても電話しなければいけない機会というのはありますよね。
じゃあそもそなんで自分はこれほどまでに電話が嫌いなのだろうと考え、理由を可視化してみた結果、5つの理由があることに気づきました。
自分の計画を中断される
1日のうちにできることは限られています。
仕事の時には朝のうちに「今日やるべきこと」をイメージして時間枠もある程度想定した上で業務を進めていますし、日常生活でも同様です。
掃除や洗濯、アイロンがけや日用品の買い物の予定を立てて動くので、いちいち中断されるのは困ります。
集中して作業したい時、集中して勉強したい時、無作法にも予告ないまま着信が鳴り響こうものなら、その瞬間に「拒否」ボタンを迷うことなく押すようにしています。
要件が見えない
僕が電話で最も嫌なのは「不在着信」の文字。
その後にメールかLINEで簡潔に要件を書いて送ってくれれば心の準備もできますが、そういった配慮ができる人はごく僅かです。
もちろん重要な要件だったり、緊急の要件である場合もゼロではありませんが、ほとんどの場合実はメールでも十分な内容だったりします。
留守番電話も内容を聞く手間があるため、簡潔にメールするというのが相手への配慮かと思います。
むしろ、事前に用件をメールで報告した上で、いつ電話が可能か聞いてくれた方がまだ心の準備と時間の準備ができるので助かります。
良い内容であることが少ない
昔から「便りがないのは良い便り」と言われるように、順風満帆に生活が営めている間は遠方の人と連絡を取り合うことは少ないです。
一人一台(以上)電話機を持ち歩く時代になった今でも、その真理は変わることはありません。
過去に高校時代の友人から突然電話が来たので、何となく出てみたら「○○がバイク事故で亡くなったって、、、」という報告。
それ以来、電話がかかってきただけで「え?!何か悪いことでも起きたのかな?!」と身構えてしまうクセがついてしまいました。
相手のペース中心となる
少なからず僕らは仕事にしても日常生活にしても、事前に予定を立ててその通り実行していきますよね。
「トゥルルル、、、」という着信音とともに奪われる自分の時間。崩れる予定。
延々と結論の出ない話をし続けられようものなら「時間の無駄」以外の何物でもありません。
ベストセラーになった堀江貴文の「多動力」にもあるように、「電話はゴミ」「相手の時間を生きるのは、自分に失礼」に完全に同意したくなります。
電話は基本的にかけた側の都合が優先されます。
受けた側は一度受けてしまった以上は相手のペースに振り回されながら、いつ終わるか分からない会話で不必要な時間をロスしていかなければいけなくなるのです。
過程や愚痴に興味がないし、聞いてもキリがない
「○○がどうで、××があーだこーだ」という過程の話や愚痴を聞いても生産性はありません。
話した側がただ一方的にスッキリするだけで、僕自身は1ミリも得しませんし、面白くも何ともありません。
何よりも嫌なのは、「終わりを期待して話を聞き続けても、最後までたどり着くことが無い」という点。
過程は自身の頭の中で処理する問題で、愚痴はいちいち人に言わなくても他の趣味などに没頭すればいいだけです。それができない人だから電話をかけてくるのであれば、そんな迷惑な人との関わりは持つ必要すらないと感じます。
要するに、無作法に電話をかけてくる人は「時間泥棒」という認識もなく、ただ自分の一方的な都合で、貴重な相手の時間を盗む行為を行なっていることに気づいていないのです。
まとめ
「電話」は有り体に言えば、「素早く確実に情報伝達できる機械」でもあり、「人の貴重な時間を奪う行為を助長する機械」でもあります。
大切なのは、相手の時間と都合をきちんと優先した上で、事前に用件を簡潔にメールで記載することです。その上で、電話しなければならない用件であれば、何時が都合いいのかしっかりと伺ってから電話をかけるようしてほしいものです。
「電話が嫌いだから冷たい人」なのではなく、「相手の都合よりも自分の貴重な時間を優先しているだけ」と気づくと途端に気持ちが楽になりました。
僕以外にも同様に電話が嫌いな人は、「自分の時間を最優先に考えている」だけかもしれませんよ。