大学教員の仕事に対する誤解ー見えないところでお膳立てをする大学職員ー

“大学の先生って、なんだかすごそう”

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photo credit: Prof. Gorgas, Columbia (LOC) via photopin (license)

どうも、七色たいよう(@nanairotaiyo)です。

「大学教員」と言えば、どのような人を思い浮かべますか?

「非常に聡明で、理知的で、応用力があって、物腰の柔らかい人格者」そんなイメージを持っている人もいるかもしれませんね。

 

実際にそういうタイプの教員はいます。

 

一方、「プライドだけはエベレストよりも高く、パソコンもろくに扱えず、器量が小さく、教育的な技術もなく、研究分野以外の知識は乏しい上に社会人経験もないような一風変わった人」というタイプの人がいることもまた事実です。

 

大学教員の特徴や実態について、現職の大学職員が見てきた本当の姿をお伝えしたいと思います。

 

 

「大学教員」になるための条件は?

大学の教員になるためには、「教員免許状」というものは必要ありません。

 

教職課程を有する学科等では、教職に関する科目を担当する教員について該当の教員免許状を義務付ける場合もありますが、その他の一般的な講義科目を担当する場合には、その科目を担当するに値する「研究実績」を有しているかどうかが判断基準となります。

 

とりわけ、大学で新しい学部や学科を新設する場合には、文科省での「教員審査」が必要となり、個人調書・研究業績書等に基づき、文科省による大学教員の職位(教授・准教授・講師等)の認定や担当可能科目の適否についての判断がなされます。

 

また、既に完成年度を迎えた学部や学科において、新たに教員を採用する場合は、上記の文科省による教員審査は不要となり、大学独自の判断で教員の選定を行うことが可能となります。

 

そのため、「大学教員」になるためには大学院を卒業して修士号・博士号を取得し、かつ一定水準の「研究業績」を積み上げていくことが条件となるのです。

 

なお、理系の学部等では博士号を持っていなければ、准教授以上にはなれないといったような制約があるようですが、文系の学部等では学位が修士号であっても経験年数によって順当に職位が上がることもあります。

 

大学教員は「教育者」ではない

「教員」と言っても、大学教員は「教育者」ではありません。

 

上で説明した通り、大学で教鞭をとるために受容しされるのは「教育実績」ではなく「研究実績」なのです。

 

どれほど現場で経験を積もうと、どれほど周りからの評判が高かろうと、論文を執筆し、様々な学術誌等で発表することで初めて業績として評価されます。

 

そのため、研究業績を積むまでの間、助手や助教、非常勤講師として様々な大学で補助的な業務をするパターンが多いのです。

 

この結果、彼らの多くは一般企業では必ず行われる「普通の社会人」として学ぶべきマナー研修や、上司や先輩からの指導といったものを経験しないケースがほとんどです。

 

大学という組織の中に根付く独自の生態系の中で個人商店のように一人で研究活動を続けています。

 

※ちなみに、教授・准教授ともなると、大学内の雑務や数多くの委員会に出席しなければならなくなるため、研究活動を行う教員はほとんどいなくなります。

 

様々なお膳立ては全て大学職員が行っている

専任の大学教員であっても、他の大学から引き抜きがされたり、公募に対し自ら応募する場合もあり、必ずしも所属している大学に対して本気で改革をしようと考えている教員はどれほどいるでしょうか。

 

ましてや、大学設置基準をはじめとした各種法律や、新たな法令等に関する知識は彼らが研究業績を積む上では直接的に役立つものではありません。

 

教育業界に所属していながら、大学設置基準や私立学校法といった経営に係る知識を有している教員は多くないのが実情です。

 

更には、個人での研究活動を中心とした生活を行っているためか、コミュニケーション能力や基本的なあいさつ、お礼、仕事に対する段取りが不得手であったりします。

 

そのため、大学の行事を遂行する上では大学職員が各種法令等の知識を基に、必要な準備を事務組織内で職員同士の連携によって全ての準備を整えます。

 

プライドだけはエベレストよりも高い

基本的に大学教員は、研究業績を積むために様々な文献を読み漁り、分野によっては実験等を行うことから「自分は誰よりも頭が良い」と捉えている場合があります。

 

教員の特性を説明するために、最近経験したこんな事例を紹介します。

 

とある授業でプロジェクターを使用するため、教卓にある視聴覚機器の電源を入れ、プロジェクターやスクリーンといった映写環境を準備した後、パソコンに電源を入れようとしたところ、電源が入らないとのことで授業中に僕が呼び出されました。

 

急いで駆けつけ、動作不良を確認すると「パソコンにUSBメモリが挿さりっぱなし」だったのです。

 

“先生、もしかしてこのUSBって…”と僕が言うと、教員はすぐさまこう言います。

 

“その通り、USBメモリを挿してから電源を入れたのにパソコンが動かなくて授業ができないの!”と言い放ちました。

 

“先生、USBメモリを挿してからではパソコンの電源は入らないんですよ”と返したが、

“他の機械もまともに動作しない!この教室とは相性悪いわ!”などと宣います。

 

そんな教員を横目に、そっとUSBメモリを抜いてからパソコンの電源を入れ、プロジェクター一式が問題なく動作することを確認した僕は、なんとも言えない気持ちで事務室に戻りました。

 

大学の教員は、何かトラブルが起きた時、問題の所在が自身にあるとは考えません。

 

機械・他の教員・事務職員に責任を転嫁することに慣れてしまっています。

 

反面、事務担当は教員からの無茶振りに対しても臨機応変に対応し、最終的に遺漏なく業務をこなすスキルが求められます。

 

 

大学の運営は大学職員の支えがあって初めて成り立っているのです。

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