「すみません」を多用する日本の慣習に疑問を持ってみるーいつも謝ってる不思議な国、日本ー

"すみません、すみません、すみません!!"

どうも、七色たいよう(@nanairotaiyo)です。

普段生活しているとあちらこちらでよく耳にするこの「すみません」という言葉。

よくよく考えてみると、「違和感」を感じます。

 

「すみません」という言葉は謝罪や非礼を詫びる時に用いられるものです、

しかし、改めて考えるともっと多くの用途で使用されています。

 

「すみません」が持つ多くの意味

【謝罪以外の「すみません」の使われ方】

すみません=ありがとうございます

すみません=助かりました

すみません=お邪魔します/お邪魔しました

すみません=こんにちわ(主に玄関先で)

すみません=ちょっとよろしいですか?

 

ぱっと思いつくだけの「すみません」に含まれる意味を並べてみました。

 

驚くことに「すみません」の一言は、これだけ多くの用途に用いられています。

 

元々の言葉の意味合いを鑑みると、「申し訳ない」という気持ちが含まれる言葉だけに、あくまでも低姿勢に相手のことを伺う意味合いを込めて使われるのでしょう。

 

ただ、僕はこの「すみません」を多用するのが苦手です。

 

時には会話の流れで使うことはあるものの、頻繁には「すみません」使わないように意識して会話をするように心がけています。

 

その理由は以下の通り。

 

便利すぎて思考停止状態に陥る

言葉を言葉として用いる上では、やはり便利な多義語を曖昧な用途で使うよりも、きちんとその場に適した言葉を選ぶ方が思考がクリアになる気がします。

 

僕が「すみません」を多用する代わりに、心がけている通常の言葉がこちら。

感謝の気持ちを伝えたい時は、「ありがとうございます」

助けてもらった時は、「とても助かりました」

人のお家にお邪魔する時は、「お邪魔します」

玄関先で挨拶する時は、「こんにちわ」

何かを訪ねたい時は、「ちょっと伺ってもよろしいですか?」

 

「当たり前」と思えるようなものばかりですよね。

この「当たり前」な言葉の代わりに、ついつい「すみません」と口にしてしまう人が多いのです。

 

多義的に使える言葉というのは、一見便利な気がします。

しかし、大きな問題を孕んでいるというのもまた事実です。

 

状況を説明するに値しない

他にも「やばい」という多義的な意味を含む言葉がありますね。

 

こちらも「すみません」と同じように、ありとあらゆるケースで柔軟に用いる言葉である一方、「本当に伝えたいことを形容する言葉が思い浮かばなくなる」という問題が内在しているのです。

 

「すみません、すみません」→何がどのようにすみませんなのですか?→「すみません」

「やばい、やばい」→何がどのようにやばいのですか?→「やばい」

 

これでは会話は成り立ちません。

それに、状況把握をする上で何の役にも立ちません。

 

こうした便利な言葉を多用するよりも、しっかりと自分の言葉で相手に情報を伝える意識を持った方がいいと感じています。

 

何よりも「自分が悪い」が前提ではないか?

新卒まもない頃、クレーム電話の対応をした時に、思わず先に「すみません」と口にしたことがありました。

 

あとで上司にフィードバックを受けた時に、「事実確認をする前から、安易に謝罪の言葉を口にするものではないよ」という指導を受けました。

 

今にして思えば、上司の言う通り「まずは事実確認をさせていただきたいと思いますので、お話をお伺いいたします」とだけお伝えして、先方のお話に耳を傾ければ良かったのです。

 

クレーム電話をした相手からすれば「謝ったんだから、お前が悪い!」という思考回路に切り替わります。

 

すると一転、本当に問題があったか確認をする前に、こちらが劣勢に立たされる事態にまで進展する可能性さえあるかもしれません。

 

そうした事態を自らが引き起こさないようにするためにも、口にする言葉は慎重に選ばないといけません。

 

まとめ

いつでも安易に「謝罪の意を込めた言葉」である「すみません」を多用せず、状況に即した正しい言葉を用いるだけで、自分自身の考え方や態度に良い影響が出てきます。

 

失敗をした時や、誤りが発覚した時に、「すみません」という謝罪の気持ちを込めて口に出すことは一切悪いことではありません。

 

しかし、なんでもかんでも「すみません」と口にして御茶を濁すのではなく、時と場合に合わせて、使う言葉を選び、相手に自分の意図をしっかりと伝えることの方が大切なのです。

 

あわせて読みたい