「自由であり続けるために20代で捨てるべき50のこと」から学んだ10つの大事な考え方ーわかっていたことでも中々実践できないことと、実践したほうがいいと感じることー
“捨てる勇気が、豊かな心をもたらしてくれる”
久しぶりに気になるビジネス書を見つけて読んでみた感想を書いてみようと思う。
“捨てる”という考え方を軽んじていた気がする。生きるにつれて増えていった思い出と、それに伴う思い出の品の数々。そして、出会ってきた親友や悪友と過ごした日々。
社会に出てからも、どんどん新しい人が紹介されては異動や退職とともに去っていく。新しい技術や物が流入し、また数年してはさらに新しい技術や物が登場する。
便利な世の中になればなるほど、機能が増え、物が増え、契約が増え、しがらみが増える。複雑化していくほど生きづらい世の中になっているように感じていた。
この本では、「20代は捨て。」と書かれている。
「今後の自分にプラスにならないと思ったものは、潔く捨てればいい。捨てれば捨てるほど、視界と思考からノイズが取り除かれ、本当にやりたいことが明らかになるからだ。」確かに仰る通りだと思う。
“アレもやらなければ、コレもやらなければ、あ、頼まれてたこともあったっけ”
なんてやっていては、いつまでたっても自分らしい生き方なんてできないし、本当にやりたいことにたどり着くまでに長い時間がかかってしまうだろう。
この本を読んで、僕なりに再発見のあった部分をいくつかまとめながら、自分の考え方を書き記したいと思う。
「視界にある“ノイズ”を捨てる」という考え方
まずは、視界のノイズを取り除くことから始めるようアドバイスがあった。僕が以前のエントリで書いたのと同じように「いつか使おうと思うものは、一緒使わない」ということが書かれていて、とても共感した。
「筆記用具、MacBook、お気に入りのコーヒーを淹れたティーカップだけあれば、目の前のことにワクワクしながら、本当にやりたいことほとんどはできてしまう」という。確かに、そこにワイドショーを垂れ流しにしたテレビや、読みもしない資料、使わない道具の数々を並べたところで、それは自らの視界の中にノイズを取り込むことに他ならない。自分がやろうとしていることがあるのであれば、それに必要なものだけが視界に入るようにして、それ以外の全ての物を捨てた方が作業効率も高まり、集中力が削がれることがなくなるのだと思う。
「衝動買いを捨てる」という考え方
「この買い物は投資か?浪費か?と質問する」という一文が目に止まった。浪費をすることはとても簡単であっという間に誰にでもできる。その買い物をすることによって自分自身を高めてくれるような効果が期待できるかどうかという視点で捉えた時に、そういった物に出会うことは滅多にないことに気づく。
“欲しい!”と思った時には買わずに、一晩置いて考えると。そして、一晩経っても欲しい気持ちが変わらなければ「本当に欲しい物」であって、更には自分をアップグレードしてくれる可能性が高い買い物になるかもしれない。
「付属品(オプション)を捨てる」という考え方
車一つ買うにも、シートは革張りにするか?カーナビは何にするか?タイヤは?外装は?等といったたくさんのオプションを選択したりする。
“あったら便利”であることと、“なくてはならない”は大きく異なる。何でもかんでも足して、飾り立てるのではなくて、身につける物はできるだけシンプルに、所有するものは本当に必要な物にするだけで、ノイズはかなり小さくなっていく。
「引けるものを、引くこと」
足していくことを中心としたライフスタイルに比べ、確かにこっちの方がとても心地良くなる気がする。
「マルチタスクを捨てる」という考え方
先読みグセによって、今現在目の前で起こっている素晴らしい出来事から目を背けることになるということ。僕自身も、先読みグセがあって、何かをしている最中に次やるべきことや、他のことを考えてしまうことがある。
でも、仕事をそつなくきちんとこなせる人がやっていることはもっとずっとシンプルで、「今からやるべきことリスト」を作って、優先順位の高い順に1つずつこなしていくだけ。後から依頼されたことであっても、優先度の高い仕事をきちんとこなした方がよっぽど効率がいいのだろう。
改めて、仕事をする上での進め方の参考にしたいと思う。
また、頼まれた仕事に対して何にでも「やります!」と答えるだけが仕事にではなくて、「抱えている仕事の量を把握した上で、断るべきことは断る」と考えて行動するようにしたほうがいいとも書かれていた。
「ジブンルールを捨てる」という考え方
「こうしなきゃ」「こうあるべきだ」といったジブンルールは僕自身もつい抱えてしまいがちだ。ただ、“常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである”と言われるように、ジブンルール=世界の常識ということではない。こうした「べき」論を捨て去って、「自分自身がどうしたいか」で何をしたいか決めていくようにしたいと思う。
「言葉の汚れを捨てる」という考え方
昔から“言霊が宿る”と言われるように、言葉には不思議な力が宿っているのだと僕は信じている。
攻撃的な言葉を使えば、相手の心を傷つけ、優しさ溢れる言葉を使えば、相手の心に温かみを与えることができる。
生活に疲れて、ついつい汚い言葉を使ってしまいそうになることもある。そうした時こそ、本来の自分自身が姿を現す。
ゆっくり散歩をしながら、使うべき言葉をじっくり選ぶ。そういった思考を持って普段何気なく発していた言葉の意味を考えてみてもいいのかもしれない。
「人脈を捨てる」という考え方
“断る”。僕にとってこれが一番難しい行為だった。せっかく誘ってくれた人に対して、断ってしまうことで嫌な思いをさせてしまうのではないかと恐れていたのだと思う。
以前のエントリで書いたように、自分時間を確保するためには、「断り上手になること」が大事だと考えるようにしている。
「会いたい」と言ってくれる人であっても、「自分にとって学ぶべき何かがあるかどうか」を基準にして「会う」か「会わないか」を判断の基準とするようにしている。
「みんな平等」の精神を捨てるという考え方
“自分にとって大切な人は誰だろう”
こうして考えてみた時に、何を基準に誰を選ぶだろうか。
この本では、「自分のためにリスクを引き受けてくれたことがある人」と書かれていた。確かに、はっきりとした見返りを求めることなく、「自分のために、有限なお金、時間、パワーを注いでくれる人」こそ信頼に足る人だと言えるし、反対にその人が何かあった時にきちんと恩返しをしようと思うこともできる。
「アレもコレも」を捨てるという考え方
何でもかんでも思うがままに手を出して、自分の貴重な時間を確保できなくなってしまうことはないだろうか。僕も、仕事やプライベート、家事といった自分の価値を高めるための行動とは異なることに時間を蝕まれてしまい、“今日は疲れたから、頑張るのは明日からでいいや”などと言い訳をしてしまうことがあった。
人間の手足は2本ずつ、頭と体は1つだけ。1日24時間のうち、できることは限られている。
誰かのために人生の全てを差し出す生き方を無意識にするのではなくて、本当に心から思っている自分のやりたいことに力を注ぐことがとても大切ななのだと気付かされた。
「会社への忠誠心を捨てる」という考え方
自分が勤めている職場はこれから先100年後まで生き残っているだろうか。そう考えた時に、“まだ先のことだからわからない”と思考停止するまえに、それが100年後ではなく、1年後なら?1日後なら?
明日から、一切のライフラインが途絶えるとなった時に、あなたは一体どうするだろうか。
そうやって考えてみた時に、いま勤めている職場はあなたを人生を保証するために存続しているのではなく、会社そのものが存続するために経済活動を行っているということを思い出そう。
副業禁止の職場も多いとは思うが、確かに突然収入が絶たれる可能性だって考えられるのだから、自分が好きなことを好きなように始めることは確かに大切だと思う。