「職業に貴賎なし」という言い回しについて考え方を整理してみたよ-本質は「どの視点から見るか」にある-

"職業に貴賎なし!!、、、ってほんとう?"

 

どうも、七色たいよう(@nanairotaiyo)です。

 

いきなりですが、「職業に貴賎なし」という言い回しについて、皆さんはどう思いますか?

 

僕自身、以前からこの言い回しに大きな疑問を抱いていました。

 

もしも本当に「職業に貴賎はない」という言い回しが真実なら、なぜ「報酬」「社会的評価」「労働条件」などに違いがあり、ひいてはそれにより「格差社会」が拡大しているのでしょうか。

 

この考えが現代においてどのように捉えられるかについて、考えてみたいと思います。

 

 

元々は「商人の主張」

調べてみると、元々は江戸時代の商人である石田梅岩の主張で、「士農工商」というそれぞれの身分において、いずれの職業も等しく世に役立っているというものだそうです。

 

特に、当時は武士(士)が身分制度の最上位に座しており、次いで作物を作る農民や、家や武器やその他製品全般を作る職人、そしてその最下層に「何も生み出さない」とされる商人という位置づけだったという。

 

「何も生み出さない」とされるこの時代の商人の社会的身分はかなり低かったことから、石田梅岩が立ち上がりこのような主張をしたそうです。

 

「商人の生業は、交換の仲介業であって、それは他のどの職業に劣ることはない」

 

当時の流通制度の中に、商人たちが発明した「定価販売・薄利多売・割賦販売」という3つの大きな流通発明は現代にも息づいているのを見ると、あながち「職業に貴賎なし」という主張も間違いであると言い切るのは難しいですね。

 

 

「貴賎」はなくとも、「区別」がある?

それでは、話を現代に話を戻しましょう。

 

現代では「職業に貴賎なし」という言い回しはかなり広義的に用いられており、それこそ江戸時代の「士農工商」どころか、公務員から詐欺師や泥棒まで多くの職業を含んだ広い意味での「職業」を指すことが多くなっているようです。

 

こうなると明らかに「賤業なんじゃないの?」と感じる職業もあるのではないでしょうか。

 

とはいえ、その職業を通して「価値を生み出している」という貴賎を論じることは容易にいきませんが、反対に「人を貶める行為を生業とした職業」である場合においてはある程度の賤業は少なからず存在しているでしょう。

 

ただし、表立った「貴賎」はなくとも、水面下における「区別」は存在します。

 

例えば、クレジットカードの信用評価や住宅購入におけるローン審査、転職市場における前職の経験など、「その人がどんな職業に属し、(審査においては)いくらの収入を得ているか」などを見て「区別」しているのが現実です。

 

それほど大きなものでなくても、婚活イベントや合コンで女性が男性の、男性が女性の職業を品定めして、お互いに付き合い、最終的に結婚に至るというのが一般的な流れではないでしょうか。

 

すなわち、「貴賎」までは口にしないけど、心の中で(または信用評価で)職業を品定めするという「区別」は確実に行われているということです。

 

 

職業評価は他人というフィルターを通す

「職業評価」という視点に立った時に、どのように職業が区分されるのかと言うと、それは「他人」というフィルターを通して初めて顕在化します。

 

どの職業が他の職業よりも価値があるかどうかは、明確な指標があるわけではありません。

 

そうした時に、一番わかりやすい指標が「いくら稼いでいるのか」を示す「年収」となるのでしょう。

 

年収200万円の居酒屋アルバイト男性(30歳)と年収800万円の証券会社正社員男性(30歳)の2人がいたら、どちらが優れていると感じますか?

 

建前の答えは「人間性は年収の多寡で決まらない。会って、話してから判断できる」。

 

本音の答えは「30歳でまだアルバイトじゃこの先食べていくは厳しいだろう、深く付き合うのはやめとこう」。

 

こうして、他人というフィルターを通して、職業価値の区別が行われるのです。

 

 

あなた自身は「どう在りたい」か

それでは、最も重要なこの質問。

 

「あなた自身は、どう在りたいですか?」

 

最終的に行き着くところはこれだけです。

 

かの有名なナポレオン・ヒルの名著「思考は現実化する」にもあるように「あなた自身がどう在りたいか」を決め、行動することで思いを現実化することは可能でしょう。

 

「会社や職業に縛られず、他人の評価にさえ縛られない方が自分らしい」と感じるなら、他人の目を気にせず自由に生きればいい。

 

「一定の年収や社会的地位を得ていたい」と感じるなら、誰よりも学び、積極的に活動をしていきましょう。

 

どちらが正しい生き方であるかを決めることができるのは、それを経験した本人だけです。本人が自分の決めた職業ひいては人生に悔いがないのであれば、そこに「職業の貴賎」や「職業価値の区別」もありません。

 

ただし、「報酬」「社会的評価」「労働条件」に関しては、間違いなく「区別」と「違い」はありますので、決して口当たりのいい言葉には惑わされないようにしましょう。

 

「楽しく生きろ、生きるには稼げ、稼ぐには学べ、学ぶには動け、動くには決意しろ」

 

頭の片隅に、そっとこの言葉を置いてほしいと思います。

 

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