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自分を偉いと勘違いする人の"イタさ"と本人の無自覚に対する問題についてー文科省の電話対応の質が良いとは言えない件を例にして考えるー | たいようのライフログ

自分を偉いと勘違いする人の“イタさ”と本人の無自覚に対する問題についてー文科省の電話対応の質が良いとは言えない件を例にして考えるー

“はぁ、はぁ、ええ、はぁ、はぁぁぁ???”

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電話対応というのはとても難しい。声のトーン、話すスピード、発する語句や抑揚により、相手を気持ちよくさせることも、イライラさせることも容易にできてしまう。

 

『人を見た目で判断してはいけない』とよく言われるが、こんなのは嘘っぱちだと感じている。少なくとも、自分だけは人を見た目で判断したりはしない。

 

という人もいるかもしれないが、他の人は多いに見た目で判断をしていると気づいた方がいい。

 

今回のエントリでは、「人を見た目で判断」に関するテーマではないが、後日改めてまとめたいと思う。

 

自分が「偉い人間だ」という勘違い

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人は誰しも自分一人の力で生きていくことはできない。赤ん坊の頃から大人になるまで、両親・友人・その他大勢の人たちに支えられて生きてくることができている。

 

もちろん大人になってからも、仕事で関わる人たちと協力していくことが必要だ。

 

しかし、面白いことに仕事の関係で時折文科省へ電話することがあるのだが、これまた驚くほど電話マナーがひどいのである。文科省の担当者と電話した時のポイントを下にまとめてみた。

 

・終始自分の名前を名乗らない。
・きちんとした敬語を使えない。
・わからないことを聞く方がバカだという口ぶり。
・「ありがとうございます」や「すみません」は絶対に口にしない。

 

思いつくだけでこれだけの無作法な対応にも関わらず、改善の余地は一切見られない。

 

これはひとえに「私(たち)はとても偉い人間だ」という勘違いに基づいた態度に起因する。

 

そもそも上で挙げたポイントは、社会人として最も基本的な電話マナーが多く含まれているにも関わらず、それらが改善されない理由は至極単純だ。

 

叱責のないコミュニティという弊害

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このように文科省の担当者たちによる横柄な電話対応の原因は、至極単純だ。

 

“彼らを怒る人がいない”ためである。

 

一般企業や学校法人であれば、問題のある社員や教職員がいれば名指しでクレームが入り、上司などから叱責が入る。しかし、「自分たちを偉いと勘違いしている人間たちの集まり」ではそうした互いを注視する機能が正常に働かないのではないだろうか。

 

誰だって失敗はするし、時には意図せず相手の気分を害してしまうこともある。そういった時に上司や周りの同僚が声をかけて互いに改善を図る機能こそコミュニティの力だと感じている。

 

しかし、互いに偉いと思いあってる人たちは往々にして「個人商店」と化すため、誰からも叱責を受けることもなく自由に(時に横暴に)振舞うのだ。

 

勘違いは“イタイ”

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そして、一番の問題は「本人が≪自分が偉い≫という大きな勘違いをしていることに気づかない」ことにある。

 

仮にお勉強ができて、公務員になって今の仕事をしているとしても、あくまでも「人と人との関わりの中で仕事をしている」という認識のもと、最低限の電話マナー、言葉遣いや態度で人と接する必要がある。そういったことすらできない人は、知識量や地頭の良さで自尊心を高める前に、自らの人格の低さに気づかなければならない。

 

周りの人から見たら、まさしく「横柄な態度が鼻につくだけの“イタイ人”」でしかないのだ。

 

人間性は環境か、生まれつきか

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たまに考えるのは、こういった人間性や人格といった類のものは、環境が形成するものか、生まれつき形成されるものかという点だ。

 

「人の性格は生まれ育った環境によって大きく左右されるから、環境が大切だ!」

 

という意見も

 

「生まれ持った性格の根源的な部分は、先天的なものだから変わることはないよ」

 

という意見もある。

 

 

どちらも納得のいく部分もあるが、どちらか一方に起因するものとも言い切れない。

 

きっと双方が無意識のうちに混じり合い、1人の人格を形成するのだろう。

 

それでも大切なことは、「性格を形成する要因は何か」を突き止めることよりも、「自分の態度や振る舞いが周りから見て横柄に映らないか」に気付けるかどうかだろうと僕は感じている。

 

“無知の知”という言葉があるように、人は「自分が無知である」ということを自覚してから初めて成長することができるのだと思う。

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