一言シリーズー「お金」という“モノ”に対する価値観の違いとその原因について考える(オカネは概念なんだよっていうことの再認識)ー
“お金、欲しいよね”
唐突に「オカネ」とは何かについて考えたくなった。ちょうど先日、中国経済の先行き不安による世界同時株安が発生したこともあり、ここで改めて「オカネ」とは何かを紐解いていこうと思う。
元々、お金っていうのは、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保存」といった機能を持つ物体かつ概念のことを言うんだって。
【お金の持つ3つの役割】
「価値の尺度」=みんなが欲しいと思うモノが“いくら”なのか明確にするためのモノサシ。「交換の媒介」=物々交換のために毎日りんご100なんて持ち運べないから、この紙幣は「りんご100個と交換できるだけの価値を持つこととしよう」という考え方。
「価値の保存」=物や食料はいずれ色あせて価値を失うから、価値がずーっと変わらないものとして扱おうという共通認識。
こうしてみると、「お金(=紙幣・硬貨)」というのは「持ち運びや保存が便利な価値尺度の概念を物体化したもの」と言い換えることもできそうだね。でも、物体としての価値はどうかというと、紙幣に関して言えばただの『紙』ということも忘れてはいけない。例えば、破ろうと思えば破れるし、燃やそうと思えば燃やせるし、もちろん水浸しになれば到底使い物にはならない。「お金」が「お金」であるためには、「国家による保証」が必要になる。
“円の価値は日本政府が保証します”
という風に保証されているからこそ、日本国内では「円」という名の通貨を使って経済活動が行われているんだ。
こうして考えると、「お金」という紙の物体をたくさん持つことを目的としても、極端な話、“明日から円の価値を1/10にします!”なんて言われたら国中がパニックになるかもしれない。
“お金がたくさんほしい”と考えて、いっぱい稼ぐことも大事だと思うし、いっぱい稼いだお金があればいざという時に助かることも多いはず。
だけど、“お金をたくさん稼ぐ”ということが目的になってしまうと、いざ本当にいっぱい稼いだお金を何に使うかわからなくなっちゃうこともあるかもしれない。
だから、お金を使う時には下のことを考えてみよう。
「それは必要な物なのか」
「それは欲しい物なのか」
「それは自分を喜ばす物なのか」
「それは大事な人を喜ばす物なのか」
お金の使い方一つとってみても、これだけの「お金を使う目的」が考えられる。一番忘れがちで、一番大切なことは、お金の使い道自体は自分自身で決めることができるということ。
「お金が欲しい」と考えるのには、“経済的自由を手に入れたい”とか、“困っている人の手助けをしたい”とか、“仕事に追われたくない”とか色んな理由があるとは思う。
要は「目的を達成できる使い方」を考えた上で、「それに対してお金を使った先に何があるのか」を見据えた生き方をしていくと少しだけ心の中のモヤモヤも晴れてくるのかもしれないね。