僕“テスト勉強全然やってなくてやばい!”、友達“俺もやべー!今回は本当にやばい!”-その後、悠々と高得点をたたき出す友人からわかる世の中のホンネ-

僕“テスト勉強全然やってなくてやばい!”

友達“俺もやべー!今回は本当にやばい!”

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 (photo credit: https://www.facebook.com/JERRYnotphotographer via photopin cc)

どうも、七色たいよう(@nanairotaiyo)です。

多くの人はテスト前に勉強が捗らず、友達の様子が気になった経験、ありますよね。

 

僕も中学生や高校生の頃は勉強よりも友達と遊ぶことや部活が大好きで、テスト勉強もそっちのけでした。

 

そんな時にふと友達の勉強具合が気にかかり、“テスト勉強やった?”と聞くと多くの場合は“全然やってない!”という返事が返ってきます。

 

そうすると「ああ、勉強していないのは自分だけじゃないんだな」と考え、少しだけホッとした心地になった記憶が呼び起こされてきます。

 

正直に言えば、自分でも心のどこかで分かっているのは、「自分ではない誰か」に自分と同じであることを求めるのは「安心感」を得るための行為であって、それ自体では根本的には何も解決していません。

 

そして、テストが返却されてから自分の点数と友達の点差に愕然とするが、次回までに改善しようという気持ちにはなれず、結局元の木阿弥に戻ることを繰り返していました。

 

「思考のベース」が異なっているのでは

「友達が嘘を言っていたのか!!」と裏切られた気持ちと怒りで体を震わす前に考えたいことは、「そもそもお互いの思考ベースが異なっている」可能性について理解しましょう。

 

自分自身を振りかって見ると、当時の僕には希望する進学先も、目標も、将来やりたいことさえも見つけてはいませんでした。。

 

対して友達は、ぼんやりとではあるが進学先を検討していて、目標も、将来の夢も持っていたということ。

 

僕にとっての「全然勉強していない」というのは、「単に目標のない状態」。

友達にとっての「全然勉強していない」というのは、「目指す未来、将来の自分像に対しての自己研鑽が足りない状態」。

 

こうしてそれぞれの思考ベースを読み解いてみると、友達に「嘘をつかれた」のではなく、僕と友達とでは、「互いに理想とする将来の自分像が異なっている」ということだったのです。

 

「友達と一緒でいいや」が許されるのは小学生まで

学校が終わると部活に行って、家に帰ってから親に作ってもらった晩ご飯を食べて、何も考えずにぼーっとパソコンをいじったり、ゲームをしたり、友達とメールや電話をする。そして夜も更けると寝て、翌日も同じように過ごします。

 

“きっとクラスのみんなも僕と同じように過ごしているんだろうな”

 

と思いつつも、心のどこかではぼんやりと

 

“将来やりたいことなんて決めてないなー…みんなはどうしているんだろう”

 

等と考えてしまう。

 

改めて考えてみると、中学生になると同時に、定期テストの結果でクラス・学年の順位が「数字」となって表れ、その「数字」によって先生や親、友達から既に見えないランク付けがなされていたのです。

 

そして、中学校も2年生の夏休みともなると、人知れず進学塾に通い始める友達もチラホラと出始めます。

 

そしてそのまま1年もの時間が過ぎ、気づいた頃には「県内トップレベルの公立校を第一志望に掲げる友達」と、「自分の偏差値レベルで合格できる高校を探さなければいけない自分」というような大きな差ができていました。

 

 「頑張らない」=「周りから置いていかれる」

自分が何に向いているのか、何をして生計を立てていきたいのか、そんなことを悩みながらも毎日を変わらずいつものように過ごしていきます。

 

先生や親は、口を開けば“勉強しなさい!いい成績をとりなさい!”と言ってきます。

 

内心では、「勉強をしなくちゃいけない」のはなんとなくわかってはいるのだけど、本気になって取り組むための“きっかけ”がどうしても掴めないでいることも多いのです。

 

だけど、“さあ、そろそろ頑張ろう”と思い立って行動に移すまでの時間が遅ければ遅いほど、周りはどんどん進んでいきますよね。

 

決断を明日、また明日と繰り下げていけば繰り下げていくほどに、どんどん走り去っていく周りの人を指を咥えて“僕だって、本気を出せばみんなよりも速く走れるんだ”なんて空想を膨らませては無駄な時間を過ごしていのです。

 

高校受験・大学受験を通して、大きく学んだことは「自分が本気になって取り組まなければ、周りの人は誰も自分を助けてくれるわけではない」ということ。

 

人を羨む暇があるなら、もっと早くから努力をしておけば良かったと何度も何度も思うことになります。

 

 「毎日86400ドル振り込んでくれる銀行」

そんなことを考えているうちに、ふと思い出したのが作者不明のこんなお話。

次のような銀行があると考えてみましょう。

その銀行は、毎朝あなたの口座へ86400ドルを振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は毎日0になります。
つまり、84600ドルの中でその日に
使いきらなかった金額はすべて消されてしまいます。

あなただったらどうしますか?
もちろん、毎日86400ドル全額を引き出しますよね。
私たちは一人一人同じ銀行を持っています。

それは時間です。

毎朝、あなたに86400秒が与えられます。
毎晩、あなたがうまく使い切らなかった時間は消されてしまいます。

それは翌日にくりこされません。それは、貸し越しできません。

毎日あなたの為に新しい口座が開かれます。
そして、毎晩その残りは燃やされてしまいます。

もし、あなたがその日の預金を
すべて使い切らなければあなたはそれを失ったことになります。

過去にさかのぼることは出来ません。

あなたは今日与えられた預金の中から
『いま』を生きないといけません。
だから与えられた時間に最大の投資をしましょう。

そして、そこから健康、幸せ、
成功の為に最大のものを引き出しましょう。
時計の針は走り続けています。
今日という日に最大限のものを作り出しましょう。

一年の価値を理解するには、
落第した学生に聞いてみるといいでしょう。

一ヶ月の価値を理解するには、
未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。

一週間の価値を理解するには、
週刊新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。

一時間の価値を理解するには、
電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。

一秒の価値を理解するには、たった今、
事故を避けることができた人にきてみるといいでしょう。

10分の一秒の価値を理解するには、
オリンピックで銀メダルに終わった人にきいてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。
そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、
十分大切にしましょう。

その人は、あなたの時間を使うのにふさわしい人でしょうから。
そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。
昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。

明日は、まだわからないのです。

今日は与えられるものです。
だから、英語で『いま』を
プレゼント(present)と言います。

 

賛否両論あるようだけど、少なくとも僕自身は、この話の中に込められた「“今”を一つ一つしっかりと丁寧に積み重ねていくことこそが、目標とする将来の自分に近づくための一歩なんじゃないかな」というメッセージを強く感じます。

 

大学受験の際、英単語の勉強をしていて“プレゼント(present)”が多義語で、その中に「現在の」が含まれていることが長い間疑問でした。

 

こういう風に考えると、「全ての時間を一分一秒も無駄にせずに頑張らなければいけない」とまでは言わないにしても、「何もしない自分には、世の中の誰一人手を差し伸べてはくれない」ということだけは確かなのです。

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1件の返信

  1. 2017年7月31日

    […] 以前のエントリにて、「何かしらの行動を起こさなければ、誰も自分に手を差し伸べてくれることはない」ということを身をもって体験した僕自身もまずは“YES”と言って、積極的に自分の限界に挑戦していかないと成長は見込めないと思い知らされました。 […]