少し真面目に高等教育機関に対する中央教育審議会の答申について考えるーこれからの大卒には「社会人基礎力」が求められるらしいよー
“社会人基礎力ってなあに?”
どうも、七色たいよう(@nanairotaiyo)です。
大学の在り方を変える動きが活発になりつつあります。
平成24年度に、文部科学省の中央教育審議会が出した答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)」。
これからの大学教育を「学士課程教育」と位置づけ、大学での学びを通じて、学生に「社会人基礎力」を身につけさせることができるような実学主体の学びの機会を提供することが必要であると言及されています。
「大卒」であればチヤホヤされる時代は終わった
行きたい大学を選ばなければ、どこへでも入ることができる「大学全入時代」を迎え、早数年が経ちました。
すでにいくつかの大学が規模縮小・閉校への道を歩んでいます。
ここで見られるように、大学側も教員が自らの知識をひけらかすような授業スタイルではなく、学生が積極的に授業に参加し、協調性やリーダーシップを養えるような授業スタイルに変革していくことが中央教育審議会としての見解なのです。
すなわち、大学ごとにきちんと特色を明確に打ち出していかなければ、受験生から「選ばれる大学」となることはできません。
つまり、答申の内容を一言にまとめると、
“いい加減に大学もきちんと教育改革しなさい!!”
ということに尽きます。
これからの「大学教育」の方向性
とは言っても、大学教員はそもそも教育者ではなく研究者であることが前提。
新学部を設置する際には、当該教員が大学で教鞭を振るうに相応しいか、その研究業績が見られます(一部例外的な扱いの教員区分もあるにはある)。
研究者である彼らに、「大学の教育改革」をするように言ったところで、何をしたらよいかなど思いつくことは滅多にありません。
そこで、中教審は答申の中で「学生に社会人基礎力を身につけさせるようにしなさい」と述べているのです。
また、社会人基礎力を身につけさせる教育の例として、「アクティブラーニング」や「PBL」といった学生自身が主体的・積極的に学んでいける教育方法も提示しています。
最近では、家や電車内でこれまで大教室で行われていたような講義をオンデマンドで視聴し、教室にて講義で学んだことを活かした演習(プレゼンテーションやグループディスカッション、小テスト等)を行うような「反転授業」も注目されています。
一部の大学では、企業や外部の研究機関と連携して実際の商品開発に学生を関わらせる仕掛けを導入していることからも分かるように、各大学はそれぞれのブランディングにとても力を入れているのです。
本当の意味での「教職恊働」
このような高等教育機関としてのハイレベルかつ実践的な学びの実現には、大学教員だけでなく、大学職員の力も必要となります。
しかし、教員は職員を「事務屋」と認識し、職員も言われたことだけを行えば良いとする姿勢が根付いている大学も少なくありません。
教員と職員が互いに互いの力を認め合い、本当の意味で大学の価値を高めるために「教職恊働」で戦略的な取り組みの提案・実現を進めていかなければ、遅かれ早かれ受験生や保護者、企業や地域社会から見向きもされなくなるのです。
更に今後は、COC(センター・オブ・コミュニティ)として、その地域における中核的な存在である大学となることが重要となっていきます。
これからの大学の職員も、与えられた事務作業に従事するだけでなく、法令改正や学内規程の見直し、外部環境の変化や例年主義に陥らず積極的に攻めに転じるような「自らが改革を促す姿勢」を持って職務にあたっていかなければいけないのです。
そして、「社会人基礎力」とは
答申の中で述べられる「社会人基礎力」とは、単に「知識」のことを指しているのではなく、「生涯学び続ける姿勢」と「予測困難な時代を生き抜くために必要な技能」を指しています。
すなわち「チームで特定の課題に取り組む経験をさせる」、「理論に加えて、実社会とのつながりを意識した教育を行う」、「論理的に文章を書く力」、「人にわかりやすく話す力」、「外国語の力」を伸ばしなさいと主張しています。
高校までは「問い」に対し、「答え」が存在していました。
しかし大学を卒業し、一旦社会に出てしまえば、「答えのない問題」に対し、原因を考え、最善解を導くために必要な専門的知識及び汎用的能力が求められています。
このように、「大学生=適当に授業に出て、適当に単位を取って卒業する」というような考え方は今後一切通じなくなってきます。
今回の答申では、授業回数は必ず所定の回数実施し、シラバスでは講義内容を明確に提示し、アクティブラーニングや反転授業のように能動的な教育方法を実現するよう各大学に求めています。
今後十数年の間に、本気で教育改革に着手しない大学は閉校の道を辿っていくことになるかもしれません。