「僕らは、いつ“大人になった”と言えるのか」-大人になるための3つの条件-

“大人の条件ってなんですか?”

100598531_98397dfdb3_ophoto credit: Stop via photopin (license)

どうも、七色たいよう(@nanairotaiyo)です。

僕が高校1年生の時、「倫理」の時間に担当の先生に上のような質問をした際、クラス中から大きな笑い声があがりました。

その瞬間、僕は顔を真っ赤にして俯いたのを記憶しています。

 

きっと、同級生にとっては「大人になること」は「20歳になって成人を迎えること」や「高校・専門学校・大学卒業後に就職して1人で生計を立てられるようになること」だったのでしょう。

 

確かに、そんなごく当たり前の条件を聞いた僕は馬鹿だと思ったのも当然です。

 

だけど、当時の僕が本当に知りたかったのは、「大人としての考え方を兼ね備えるとはどういうことか」だったのです。

 

今でもその瞬間の記憶は鮮明で、同時に今でもその時の質問についての答えを考えていました。

 

それから、気づくと僕は大学生になり、卒業して社会人となります。

 

社会に出てからというもの、これまでの学校教育では関わる機会の少なかった年代の異なる多くの「オトナ」たちと仕事をしてきました。

 

接してきた「オトナ」たちの中でも、本当の意味で「大人」だと感じた人の共通点についてご紹介します。

 

 「大人」と言える人が兼ね備える3つの共通点

「自分が世界の中心ではない」と認識している

“自分の意見が絶対に正しい!”なんてことを言う人を心から信頼できるだろうか。

 

世界人口は約70億にも達していて、これからも増え続けるでしょう。

 

僕もあなたも、そのような地球的規模から見たら、ただの70億分の1に過ぎないちっぽけな1人の人間です。

 

それだけの人間がいる中で、「自分が世界の中心なんだ」と本気で言える人はまずいません。

 

「世界には様々な考え方がある、自分の考えもその中の1つに過ぎない」と考えることで、より多くのことを吸収することができるようになります。

 

時々、自分の中にある答えとは180度異なる他人の答えに対して、牙を剥いて反論するような人もいます。

 

僕が学校を卒業してから気づいたのは、「世の中には答えが1つではないことの方が多い」こと。

 

そして、「そもそもどれが本当の答えかわかる人は誰一人いない」ことでした。

 

たくさんの人の意見があって、たくさんの考え方があって、たくさんの答えがあって、その中でできるだけ多くの人が納得するような結論を出せることこそ、本当の意味で大人としての資質が備わっていると言えるのです。

 

常に先を見据え、地道に一歩ずつ行動に移せる

“大金持ちになりたい”

“何か大きなことを成し遂げたい”

“やりたいことが多すぎて選べない”

 

漠然としてぼんやりとした文字通り”夢のような”目標があっても、実際に行動に移せる人は一体どれほどいるのでしょう。

 

“大金持ちになりたい”

と考えてはいても、起業・投資・玉の輿・その他自分の得意なことについて、本気で取り組んでいる人はどれほどいるのか。

 

”何かを成し遂げたい”

と考えてはいても、その”何か”を具体的に人の語ることができる人はどれほどいるのか。

 

”やりたいこと、興味あることが多くて時間が足りない”

なんてことは多くの人が口にする言葉だったりします。なんとか意を決して新しい物事に挑戦しても3日坊主となることも。

 

僕がいま続けていることは、Macbookとペンタブでのイラスト製作と電子ピアノで両手で弾けるように練習すること、そしてブログを書き続けることです。

 

幸いにして、その3つに限定しているお陰もあってか、無理のない範囲で継続することができています。

 

実際に”何か”を始めてみると、周りから「もっとこうするといいよ!」や「良かったらお勧めの楽譜紹介するね」といった意見をいただけることもあります。

 

僕自身はまだまだ「大人を夢見る子ども」に過ぎません。

 

それでも、昔よりもうじうじせずにまずは挑戦してみようという気持ちと行動につながるようになったのは成長の証なのでしょう。

 

たまたまイラストをもっと上手に描くための練習法を探していたときに、2chまとめで見かけた成長に関するこんな一言を見つけ、とても感銘を受けました。

 

成長なんて「プラス1ミリ」で良いねん
1ミリでも伸びたら、それが大成功で大喜びすれば良いの

それができずに、5センチも6センチも一気に伸びようとする奴ばかりが何もできずに立ち往生する

 

きっと、体と心が成長するに従って、空想の自分ばかりが大きくなっていって、目の前のほんの「プラス1ミリ」の成長すら見えなくなって、上ばかり見つめてしまうのでしょう。

 

見つめた先には、“今の”自分なんかよりも上手な人が沢山いて、芽生え始めていた小さなプライドが傷つくのを恐れて、その新しい挑戦を止める言い訳を探してしまうのかもしれません。

 

何かをやれば、失敗しても必ず何かしら得るものはあるのだから、怖がらずに、恥ずかしがらずに、まずは一歩踏み出すようにしましょう。

 

他人に寛容で、自分に厳しい

僕にとって、この条件がとても大切だと感じています。

 

僕らが子どもの頃は、大人のやることを見て、憧れと好奇心とほんの少しの負けん気を持って追いつこうと大人の真似をしてきました。

 

僕が読書と勉強、そしてパソコンに興味を持ったのは父親の影響が強かったのだと感じています。

 

その父親については、他の面では様々なトラブルがあったため、心から尊敬するには少し心の葛藤もあります。

ただ、仕事が終わってからは読書に勤しみ、当時30万円近くもしたWindows95を買っては様々なパソコンソフトに挑戦していたのです。

そして、放送大学で数年学び、齢50ほどにして、「学位(教養)」を修めていました。

 

それにも関わらず、僕に対しては何かを強要することはありませんでした。

 

もしかしたら、自分のやっていることで手一杯だったのかもしれません。

 

しかし、子ども心ながらに無意識に真似をしようとしていたのに気づいたのは、それから10年ほど経ってからでした。

 

また、就職して最初に配属された部署の上司も、同じように自分のすべきことにかなりの努力をして、人の失敗や間違いは優しくひっそりとフォローをしてくれていました。

 

人を叱責する傾向が強い人は、往々にして自分が同じ失敗や間違いをした場合には、言い訳をして誤魔化します。

 

しかし、自分に厳しく、人に寛容な傾向が強い人は、自分が失敗や間違いをした場合には、「どこがどう失敗だったのか、次はどうしたら良いのか」と前向きに考えて改善につなげることができるのです。

 

そういう姿こそ、その人が「大人である」と言える行為そのものなのでしょう。

 

 ”いえいえ、私なんてまだまだです”

“○○さんって、本当に大人ですよね。”

という投げかけに、

“いえいえ、私なんてまだまだです”と答えられる人は、自分を過大評価せず、心に成長の余地を残している様子が伺えます。

 

自分で、自分のことを“既に大人だ”と認識してしまうと、それ以上の成長は期待できません。

 

「大人として振舞う気持ち」を持つことは、立ち振る舞いに注意する自覚を持つという面でとても大切ですが、「既に大人である」と自分を過大評価するのは危険です。

 

 「生理的大人」と「社会的大人」の違い

 

そして、今回のテーマである“いつ大人になったのか”について考えましょう。

 

今では20歳になる年度の1月2週目の月曜日に「成人の日」と銘打って、新成人に対しての賛辞と戒めについての話がされるのが通例ですね。

 

そして、お酒もタバコも20歳から解禁され、保護者の同意なしに、様々な契約もできるようになります。

 

”だから20歳になったら、大人じゃないか!”と声を荒げる前に、動物のように身体が成熟する「生理的大人」と親から経済的/精神的に独立する「社会的大人」とでは大きく異なるのです。

 

成人式に代表する一定年齢を過ぎた段階で大人だと見做される「生理的大人」は、物事の善し悪しや最低限の分別のつく年齢としての大人(とされているが、現実は必ずしもその通りとは言えない)。

 

今回、僕が言いたいのは人の多様性を需要し、模範となり、人の成長に繋がる言動を実行できるような「社会的大人」です。

これは、自分だけで判断することができるものではありません。

 

今回のテーマである「僕らは、“いつ大人になった”と言えるのか」について改めて考えてみると、それはきっと自分の周りにいる人から「大人ですね」と言われて初めて「自分は大人になったんだなあ」と実感して良いと言えるでしょう。

 

自分以上に、周りの人は自分のことをしっかりと見ています。

 

いざという時に逃げ腰になったり、隠れて努力を怠っていたり、口先ばっかりで実力が伴わなかったりする姿は、バレていないと思っていても実はしっかりと見られているのです。

 

きっと、本当の意味で、胸を張って高らかに“私は大人です!”と言える人は少ないと思います。

 

だけど、君のひたむきに頑張る姿を見続けてきた人は、きっと“あなたはとっても素晴らしい人だよ”と言ってくれるなら、その時にこそ“うん、僕もようやく心が成長してきたな”と心の中でひっそりと呟きましょう。

 

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