「あなたって、冷たい人ね」ーそもそも「優しい」と「冷たい」は、何が違うのか考えてみたよー
“突き放すか、甘やかすか、それが問題だ”
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どうも、七色たいよう(@nanairotaiyo)です。
自分ではそんな風に思っていなくても、ふとした時に周りの人から「あなたって、冷たい人ね」と言われたことはありませんか?
僕はあります。
道端で困っている外人さんに声をかけたり、電車内で身重の人に席を譲ったり、そういった行動は積極的にします。
一方で、仕事でトラブルが起きた時や、知人同士が口論になっている時には淡々と原因を1つずつ挙げ、それらを整理して、並べ替えてから解決の糸口を探すようにしています。
「あいつのせいでいつまで経っても終わらないんだ!」
「あなただって、わたしに仕事を押し付けるから悪いんでしょ!!」
そんな問答には一切興味はありません。
重大な犯罪や故意に人を貶めるような行為に関しては、誰が悪いのかという犯人探しを行い、厳重な処罰を課す必要はあるでしょう。
しかし、発言者の意図や想いの行き違い、「私のことをわかって欲しい」というわがままに関しては、「当人自身の問題」であって、周りが積極的に介入する必要はないと思っています。
そうした態度をとる場合、必ず寄せられる反応が「冷たい人ね」という発言。
ですが、必要以上に他人の感情やわがままに介入することが「優しい」とか「思いやりがある」と考えるのは少々無理があるように思います。
それでは、「優しい人」と「冷たい人」というのは、何がどう違うのか考えてみましょう。
「優しい人」は態度でわかる
困っている人を見つけて、声をかけることができる人は疑いようもなく「優しい人」に分類可能です。
なぜかといえば、「行動」によって困っている人が欲していることに対処することができているから。
人は、「行動」を通して自身の「態度」を体現することができる生き物です。
もしくは、「生きる姿勢」と置き換えてもいいかもしれません。
「いざという時に、自ら率先して動ける人」こそが「優しい人」というレッテルを貼るにふさわしい人なのだと言えるでしょう。
「冷たい人」は言葉でわかる
一方で、「冷たい人」とはどんな人でしょうか。
思うに、「相手の心を傷つける言葉選び」ができる人であると言えるでしょう。
あなたが辛い状況に陥っている時に、「だからお前はダメなんだよ」や「そんなことでへこたれるくらいなら辞めちまいな」という言葉を投げかける人は「冷たい人」に分類できます。
こういう言葉を投げかけられる人は、得てして「世界の中心は自分である」と思いがちな傾向にあります。
生きている限り、自分以外の人がいて、互いに支え合っているからこそ自分自身も生きていけているにも関わらず、根拠のない「万能感」に満たされていて、他人に冷たい言葉を投げかけることができるのです。
こうした心無い言葉を発せられる人に対してはどうしたらいいのか?
一番簡単な方法は「そっと離れる」ことです。
「自分がどうにか改善してやろう!」などと間違っても思ってはいけません。
さっさと見限るのが良いです。孤立して初めて本人も自らの過ちに気付くでしょうから。
問題は「甘え気質な人」の方にもあるのでは?
とはいえ、事実として「甘え気質な人」にも大きな問題点があることは触れておかないといけません。
そもそも、「頼る」と「甘える」には大きな違いがあります。
「頼る」とは、【自分にはできないことを他の人にやってもらうこと】
「甘える」とは、【自分でもできることを他の人にやってもらうこと】
上に書いたように、誰かに何かをお願いする際に、それが自分でもできることを猫なで声で「おねがーーーい」と言ってこようものなら、「ご自分でなさってください」と一喝します。
専門知識や専門技術が必要な分野や仕事であれば、それをできる人にお願いするのが仕事だと思いますが、一方的に誰かにやってもらおうと考えるのはただの「甘え」です。
そういった態度で人に物事を依頼した際にバシッと跳ね除けられた人が「あの人って、冷たいの!」と言うのはお門違いでしょう。
まずは自分にできることを、自分でやる。
自分にはできないことを、他の人にやってもらうまたは教えを請う。
そこから始めることがとても大切なことなのだと思います。
まとめ
誰かのことを「優しい」、「冷たい」とレッテルを貼る前に、まずは自分がやるべきこと、行うべき努力をすることを心がけていきましょう。
その人が優しいかどうかは、態度や姿勢でわかるものです。
一方で、冷たい人というのは、発する言葉が既に冷たいことが多いので、割とすぐに判断できます。
わざわざ冷たい人に囲まれたいと考える人以外は、極力避けるようにするのが賢明だと思います。