【ローマ法王からの叱責】「真の幸せは、スマホのアプリではない!!」ー現代的承認欲求と幸せの在り方を考え直してみるー

“幸せはスマホのアプリではない”

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【毎日新聞】「ローマ法王『幸せはスマホのアプリではない』」

10万人の若者信徒らに向けて

 

 【ローマ福島良典】フランシスコ・ローマ法王は24日、バチカンのサンピエトロ広場に集まった約10万人の若者信徒らに向けて「幸せは携帯電話(スマートフォン)のアプリではない」と語り、「持つ者は幸福」という物質主義に陥らないよう呼びかけた。

 
 法王はミサの中で「『たくさん(金品を)持っていさえすれば、人生は素晴らしい』と言う人を信用してはいけない」「幸せに値札はなく、売買できない」と指摘した。

 その上で「幸せは携帯電話にダウンロードするアプリではない。最新版を手に入れたところで、あなた方が自由になり、大人になるのを手助けしてくれるわけではない」と述べた。

今や、スマホは現代を生きる僕らにとって欠かせないモノとなりつつあります。

 

一昔前は、ゲームや動画だけでなく、音楽のダウンロードに対しても慎重だった多くのユーザーが、当たり前のようにコンビニや家電量販店でiTunes カード・Google Playカードを買い、それぞれのストアからアプリを購入しています。

 

新しく便利なアプリが登場すれば、事前にレビューを見た上で、ダウンロードしますし、無料アプリなら「ちょっと試しに」という感覚で気軽に使ってみますよね。

 

ただ、これが行き過ぎると、「単に次々とリリースされる新商品に目移りしている状態」に陥る可能性があります。

 

使い勝手のいいモノが出れば、そちらに移るのは当然のことではありますが、時間は誰にとっても一日24時間しかないため、ダウンロードしたアプリを全て満遍なく使いこなすことはまず不可能です。

 

ローマ法王が言った「幸せはスマホのアプリではない!」という言葉の意図がなんとなくわかるような気がします。

 

アプリを購入するのは、数多ある娯楽の一つであったり、不便だったコトを便利・快適にしてくれる可能性を提供してくれるからであって、それ単体で人生をより良くしてくれるモノとはなり得ないということなのでしょう。

 

パズドラ・モンスト・白猫・デジモンといった大手のスマホソーシャルゲームに多くの時間とお金と労力を注ぎ込んでも、得られる結果は、スポーツや仕事、勉強といった他の人生経験に比べたら微々たるもの(または無いに等しい)と考えると、二の足を踏んでしまいますね。

 

もちろん、スキマ時間の暇つぶしと割り切って遊ぶ分には、基本プレイ無料のゲームなどはコストパフォーマンスに優れていると思います。

 

結局のところ、「1日24時間あるうち、自分の人生にどこまで真剣に投資するか」ということなのかもしれませんね。

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